空手道 空優会

おはようございます。

 

今朝も冷え込みました。
常温の水より、冷たい水が美味しいように
吸い込んだ空気が冷たいほど、新鮮で美味しく感じるものです。

 

先日、歩いているとこんな光景を目にしました。
公園でお母さん達がお話をしています。
子どもが遊具に興味を示し走り回りますが
「危ない」「怪我したらどうするの」「やめなさい」「汚い」「転んだらどうするの」
などと言って次々と阻止し、しまいには子どもの手を掴んで話し込んでしまいました。

 

そんな光景を見て、すぐに両親を思い出しました。
やんちゃでそこら中を飛び回っていた私が
危ない遊び(例えば10センチくらいしか幅のない高い塀に上ったり、自転車のサドルに立ち上がろうとしたり、一輪車を後ろ向きで走ったり…etc…)をしている時
それを無理に中断させることは決してしませんでした。
たまに自分の中でも「これはチャレンジだ」と思う遊びの時は、必ず母が「それは危ない、怪我をする」と注意発起し私に判断をさせますが、それでも私が止めようとしない場合、父が「言われても、怪我しなくちゃ納得しないから、自由にさせよう」と言いました。

 

私が子どもの頃もテレビゲームは大流行りでしたが、そういったものをまさか親から支給されませんので、外で遊ぶしかありません。
その頃、外で遊ぶと言ったら「下手したら命がけ」のものもたくさんありましたが、それをかいくぐって生きながらえました。

 

しかし存分に遊ばせてくれたので、上は大木、屋根の上から、下は洞穴、縁の下まで、身一つで行けるところはどこでも行きました。

 

転ばぬ先の杖とは
まず転んで痛さを知って、傷への対処を覚え、なぜ転んだのか分析し、次どうしたらいいかを考える。
子どものうちに、たくさん転びを経験する事で、これから行うことは、杖が必要か、必要ならばどれくらいの杖か、自分で考え準備し、乗り越えていくことができます。
杖を親が出してしまっては、その能力が養われません。親が居なくなったあと、誰もその子の杖になってくれません。

 

放ったらかして育たれたようでしたが、可愛い子には旅をさせよ、だったに違いない…と親の気持ちがわかるようになりました。

 

転んで怪我したっていいじゃないか
血を出しても、泣いても、大したことじゃない
空優会がの子どもたちも、そんなたくましい人間になって欲しいと思います!

 

 

 

 

Facebookはこちら

http://on.fb.me/1uUY8X4

ページトップへ